ふと、テレビを見ていると
クレイジージャーニーという番組で菊野昌弘さんという方を紹介されていました。
それ見たときにあまりの凄さ(クレイジーさ)に食い入るように見てしまった訳ですが、その後もどうしてもその内容が忘れられず、今もずっと気になりっぱなしの状態になっている次第です。
この方は独立時計師という仕事をされている方で、メーカーなどに属さず時計作りの全工程をすべてひとりで行い完全オリジナリティーな時計を作り上げるというものです。
デザイン、機構設計、材料調達、製作の全てを一人で行い、1mm以下のネジすら金属の塊から削りだし自分の手で作り上げてしまうというとんでもない職人です。
言ってしまえば究極のDIYなのですが、それ以上に凄いと感じたのはこれを突き動かす彼の考え方や精神性の高さです。
ただ時計が好きだからという理由でもなく、これをうまく表現しきれないのですが、俺氏の心の奥底に眠っている感性とものすごく共鳴した感覚があり、それ故とても気になっている人物です。というより勝手に気にならさせて頂いているだけですが。
菊野さんはアナログの機械式時計にこだわりを持ち、一つの作品を作り上げるまでに1年の歳月をかけます。これだけ自動化や効率化が図られている恵まれた世の中であえてそれをおこなわずとてもアナログな方法で作っています。あきらかにお金を稼ぐ為に作っている訳ではなく、自分が作りたいから作っているのだと思います。そして、購入してくれる方へ作品として作成にあたる物語とともにそこに与えられた時間的価値というものを同時に提供しているということが伝わってきます。
彼の公式ホームページには時間の概念についてこのように記されています↓
人間に与えられる最も公平な資源は時間です。
1日24時間、生きている限り与えられるものですが、それは有限なものです。
これは、過去も今も未来も変わらない、全く公平な真理です。
人間が1日に出来る仕事量には限界があり、その生涯の中でしか、その技術を研鑽し発揮することは出来ません。
過去の時計師が限りある時間をかけて真摯に作り上げた時計は時代を超えて現代に生き続け、彼らの情熱を私に伝えてくれます。
「2つの手を動かして時計を作る」ことで、過去の時計師も、今の時計師も未来の時計師も同じ「時」を感じることが出来ます。
私は限られた人生の時間の中、過去の時計師と同じように手を動かし、頭を捻り、彼らと同じ道具を使うことで同じ土俵に立ち、彼らを驚かせるような時計を作りたいのです。
そしてその時計はあなたの手を経て、未来の時計師へのメッセージとなるでしょう。
菊野昌宏
https://www.masahirokikuno.jp/
上述の文章にはとても共感するところがありました。
なんというか、現代人が忘れかけている大切な事のような。
製品ではなく作品として過去、現在、未来を通してメッセージを伝えていおり、その作品が偶然にも時計という時間を刻むツールであるというところも興味深い点です。
菊野さんは番組でこんなことを言っていました。
「現に今100円ショップでとかでも正確な時計が買えるような時代じゃないですか、時間を知るという事はさほど重要なことではないんですよね。時計という形はしているが、僕が提供したい価値は個性というかコツコツ作り上げた結晶として愛でてもらいたい。」
本来時計という存在は正確に時間を知ることができれば理にかなっている訳で、でもそうじゃないと彼は言っています。
つまり俺氏の思うところ、彼は自分の思い描く究極の嗜好品を作っているんだと思います。
嗜好品といえば酒・タバコ・珈琲をはじめとする胡椒・七味・山葵・生姜のような薬味もそれに類するものだと思っていますが、何より嗜好品の存在意義は、人生をより豊かにしてくれるものだと考えています。俺氏が嗜好品を愛する理由はこれにあります。
材料やその物だけの価値で図るのではなく、その物を所有・扱う喜びと楽しさという目に見えない時間的価値を与えてくれるモノとして存在する。
その嗜好対象の一つに時計が存在しているんだと感じます。
菊野昌宏のことを俺氏なりにかんたんに言ってしまえば
究極の嗜好品を究極のDYIで実現してそれを職業として成り立たせている数少ない日本人。
このような生き方ができる人は大変稀有な存在であり、うらやましい限りであるとともに敬意を表したい人物であります。
でも、よく考えれば自分が知らないだけで、ジャンルは違えどこの様なすごい人達はたくさんいるのだと思います。
おこがましい話ですが俺氏も何らかの形でも誰かの何かの為に時間的価値を与えるようなそんな存在になれたらなと勝手に思っています。
菊野氏が作成したトゥールビヨンをいつか見える日がくれば光栄です。
追記 2019.01.20
1月27日に菊野氏が情熱大陸に出演されるそうです。とても気になるところです。
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